五色温泉 宗川旅館
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五色温泉の歴史

五色温泉の歴史

 五色温泉は、天武天皇の白鳳五年、修験道の開祖である役小角が諸国行脚中、森の木々の隙間から五彩の湯けむりが立ち上るのを見て発見したと伝えられています。

 しかし、温泉としての形を整備したのは、上杉家の家臣である直江兼続によるものです。

  兼続の嫡子である平八景明は生まれつき病弱でした。そのころは両目がただれており、様々な治療をしても効果が無く夫妻は心を痛めていたそうです。そんな中、眼を患った僧が五色の湯に入って治ったという話が、兼続夫人のお舟の耳に入り平八を五色で治療させたいと兼続に告げたとされています。

初夏の早朝、五色温泉は雲海に包まれます。

 慶長14年、兼続は配下の松本助兵衛に命じ、うっそうと茂った森の中にあった五色に湯壷を開き、小屋を建てて浴舎としました。

 湯治の甲斐があり、平八の眼病が回復したたことで、霊湯としての評判が広まり、上杉藩の守り湯として大切にされてきました。

五色温泉の歴史
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平成23年は、開設100年目にあたります。

 五色は、もともと海抜900メートルの高地で、眺望がよく、夏も涼しく、特に冬は積雪が3メートルにも達し、雪質も所謂パウダースノーで緩急のある山の傾斜もスキーに適していていることから、オーストラリア人のオゴン・フォン・クランツァらがこの地に泊まりがけでスキーを楽しんだのがきっかけとなり、明治44年に日本初の民間スキー場としてオープンしました。

 平成10年にリフトの老朽化などにより閉鎖されるまで、毎年多くのスキー客で賑わいを見せていました。

 大正13年に日本最初のスキーロッジとして皇族のための六華倶楽部が建設されました。宗川旅館が建築された後、六華倶楽部が管理運営をしてきましたが、昭和20年に返還されてからは、昭和25年の冬季国体で高松宮殿下が休憩用に使用されて以来、あまり活用はされていなかった。

 現在は、老朽化したために、仙台市へ個人宅として移築されています。

五色温泉の歴史
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 大正14年日本共産党第3回大会が非公式で開催される。当時、弾圧されていた日本共産党が組織再建のため、大会を開催しましたが、参加者は身分を隠すためばらばらに来館したため、当時の主人も1年後に警察からの事情を聴くまで全く分かりませんでした。

 当館には、様々な方がお客様として来館していただいておりますが、昭和4年竹下夢二が女性同伴で訪れスケッチブック2冊を残して行かれました。


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